「いろは歌」といえば、47文字の仮名を重複させず、しかも意味がきちんと通じるように使い、七五調の「今様」と呼ばれる歌の形式をとっています。その成立は10世紀の末~11世紀中頃と言われ、習字のお手本として広く使用されています。このように古くからよく知られている「いろは歌」ですが、実は『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』、略して『涅槃経』と呼ばれている経典の『雪山偈(せつさんげ)』という歌らしいのです。
いろは歌の元ネタは『涅槃経』の中の歌?
その経典は『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』、略して『涅槃経』と呼ばれています。「大般涅槃」とは仏教の開祖として知られるお釈迦様の入滅(死)のことで、『涅槃経』は簡単に言えば、その意義を解説する数種類の経典の総称です。
その中に、お釈迦様の過去生の姿である「雪山童子(せつさんどうじ)」という修行者が残した『雪山偈(せつさんげ)』という歌が登場します。
諸行無常 是生滅法 (諸行は無常なり 是れ生滅の法なり)
生滅滅已 寂滅為楽 (生滅滅しおわりぬ 寂滅をもって楽と為す)
(この世のすべては移り変わる。生まれたものは必ず滅する。これは動かすことのできない真理なのだ。
生きることと死ぬこと、生と滅を超越したところに、永遠の安らぎの世界がある)
雪山童子が雪山(現在のヒマラヤ山)で「悟り」を得ることを目指し修行をしていたときに、どこからともなく「諸行は無常なり 是れ生滅の法なり」という歌が聞こえてきました。
雪山童子が「これは素晴らしい『悟り』の言葉だ。誰が歌っているのだろうか?」と思い探すと、声の主は恐ろしい顔をした人食い鬼の「羅刹(らせつ)」でした。童子は歌の続きを教えてほしいと羅刹に頼みましたが、羅刹は「腹が減っているから歌えない。生きた人間の肉と血をくれたら歌ってやる」と答えます。
童子が「それなら、私の身体を差し上げます」と言うと、羅刹は後半の言葉を口にします。童子は羅刹にお礼を言い、後に続く修行者のためのこの歌を木や石に刻みつけると、木の上から羅刹の口に向かって身を投げました。その瞬間、羅刹は帝釈天に姿を変えて童子を抱きとめ「あなたは将来、必ず悟りを開くであろう」と予言したというのです。
この『雪山偈』を和訳した内容が、現在に伝わる『いろは歌』と言われています。
『いろは歌』の意味を要約すると
匂い立つような色の花も散ってしまうように、人も世の中もめまぐるしく変わっていくものだ
だから今、迷わずこの世の全ての欲を捨て、現世を超えよう、
のような意味となります。
後半に登場する「うゐのおくやま(有為の奥山)」の「有為」とは、因縁により起こる全ての事柄を指す仏教用語です。つまり「めまぐるしく変わる世の中」を奥深い山にたとえ、それを超えた「悟り」を目指そうというお釈迦様の教えそのものです。
いろは歌の内容
- いろはにほへと ちりぬるを
- わかよたれそ つねならむ
- うゐのおくやま けふこえて
- あさきゆめみし ゑひもせす
- 色は匂へど 散りぬるを
- 我が世誰ぞ 常ならむ
- 有為の奥山 今日越えて
- 浅き夢見し 酔ひもせず
「うゐのおくやま(有為の奥山)」の「有為」とは、因縁により起こる全ての事柄を指す仏教用語です。つまり「めまぐるしく変わる世の中」を奥深い山にたとえ、それを超えた「悟り」を目指そうというお釈迦様の教えそのものなのです。
四十七文字の最後に「京」の字を加えることの意味は?
四十七文字の最後に「京」の字を加えることは、弘安10年(1287年)成立の了尊の著『悉曇輪略図抄』に「末後に京の字有り」とあり、この当時すでに行われている。「京」の字が加えられた理由については、仮名文字の直音に対して「京」の字で拗音の発音を覚えさせるためだという説があります。
また、「有為の奥山 今日越えて 浅き夢見し 酔ひもせず」という涅槃寂静(悟り)のところを、京の都に喩えたものであるという説もあります。すなはち、すべての道は悟りの世界に通じているという意味だそうです。
まとめ
『いろは歌』が登場する最古の文献は、『金光明最勝王経』という経典の解説書である『金光明最勝王経音義』でした。仮名47文字が重複せずに使われ、意味もしっかりしている『いろは歌』は、習字のお手本としてはもちろん、見慣れない漢字やその発音などについて解説するときにも大変役に立つ歌だったようです。しかしその内容は仏教の悟りへの道標の一つ、なお一歩進めた悟りを促すものではないでしょうか。