大瀬氏は2001年、和歌山県で生まれました。学生時代は明るく活発に過ごし、高校卒業後は看護学校へ進学します。もともと海外で働くことに憧れを持っており、「看護師の資格があれば、世界のどこでも働けるかもしれない」と考えたことが、その進路を選ぶ理由でした。
ところが、在学中に経験した病院実習で、その思いは大きく揺らぎます。現場では、患者さんに寄り添う以前に、限られた時間の中で多くの仕事を正確にこなすことが求められていました。その現実を前にしたとき、彼女は「この働き方を自分は一生続けられるのだろうか」と深く悩むようになります。
「この仕事を、この先ずっと続けていけるのだろうか」
悩み抜いた末、大瀬氏は家族にも打ち明けないまま、自分の意思で学校を離れる決断をしました。その後はSNSの世界に活路を見いだそうとし、インフルエンサーとしての活動を始めます。しかし、思うように結果は出ず、模索の日々が続いていきます。
- 就労継続支援施設との出会いが転機になった
- 失敗しながらも、お菓子作りの面白さを知っていく
- 突然訪れた社長交代、22歳で背負った重責
- 分からないことだらけでも、逃げずに学び続けた
- 株式会社ラブスイーツ設立、2本柱で未来をつくる決断
- 最初の商品は「スノーボール」だった
- 営業はゼロから、頭を下げるところから始まった
- そして訪れる、大きな試練
- SNS映えする人気商品「ケーキ缶」への挑戦
- 突然の連絡不通で、状況は一変した
- 責任の所在よりも、社会的信用を守る道を選んだ
- 危機のあとに見えてきた、次の課題
- “その一口が、誰かの力になる”という言葉が生まれた
- コンセプトが定まると、事業は大きく動き始めた
- 内部体制の整備が、安定供給を支えた
- 販路は全国へ、そして売上1億円へ
- 理念だけでは続かない。必要だったのは「利益を出す覚悟」
- まとめ:挑戦はまだ終わらない
就労継続支援施設との出会いが転機になった
そんなときに出会ったのが、就労継続支援施設を運営する株式会社シリゼ、現在の株式会社ゆゆでした。学んできた看護の知識がどこかで生かせるかもしれない。そう感じたことが、入社を決めるきっかけになったのです。
ただ、実際の現場は想像以上に分からないことだらけでした。それでも彼女は、業界について一から学びながら、目の前の仕事に懸命に向き合っていきます。
就労継続支援とは?
病気や障がいなどの事情により、一般企業で継続して働くことが難しい方に対して、働く場や訓練の機会を提供する福祉サービスです。施設は給付を受けながら、利用者に対して適切な報酬を支払う仕組みになっています。
彼女が働くことになった施設では、「掛け合わせ型」と呼ばれるビジネスモデルが採用されていました。これは、街の洋菓子店と福祉施設が連携し、洋菓子製造の一部工程を施設側が担う形です。人手不足に悩む店舗、やりがいある仕事を必要とする利用者、そして採算性を高めたい施設、それぞれの課題を同時に解決する工夫でした。
失敗しながらも、お菓子作りの面白さを知っていく
入社後の大瀬氏は、施設での仕事を終えたあと、社長が営むケーキ店へ通い、製菓を基礎から学び始めました。分量を間違える、道具をうまく扱えないなど、最初は失敗の連続だったそうです。
それでも、なぜかその時間は苦しいだけではありませんでした。少しずつできることが増え、自分の手で形あるものを作る楽しさや、人に喜んでもらえる仕事の魅力を感じるようになっていったのです。
失敗の中にこそ、やりがいの芽があった。
うまくいかないことばかりでも、続けるうちに楽しさが見えてくる。そんな経験が、後の挑戦の土台になっていきました。
突然訪れた社長交代、22歳で背負った重責
働き始めてからおよそ1年が過ぎた頃、大きな転機が訪れます。会社を率いていた社長が体調を崩し、経営の第一線から退くことになったのです。突然の知らせに、職場には不安が広がりました。
現場が混乱する中、大瀬氏はとっさに「それなら私がやります」と声を上げます。こうして2024年4月、わずか22歳で支援施設の社長職を引き継ぐことになりました。
「じゃあ、私がやります」
不安の中で出たこの一言が、彼女の人生を大きく動かすことになります。
しかし、社長になってすぐに待っていたのは、理想とはほど遠い現実でした。事業所はまだ立ち上げから数年で、資金繰りに苦しむ状態。赤字を抱えながら、ようやく前に進もうとしていたタイミングでのトップ交代だったのです。
さらに、社内には人間関係の摩擦も生まれました。入社して間もない若い経営者が、急に指示を出す立場になったことで、戸惑いや反発が表面化していったのです。
分からないことだらけでも、逃げずに学び続けた
重圧はそれだけではありませんでした。施設が給付を受けるためには、利用者ごとの記録を細かく作成し、毎月きちんと提出しなければなりません。けれども、彼女にはその書類の作り方すら分からなかったのです。
それでも大瀬氏は諦めませんでした。役所へ何度も足を運び、担当者から教わりながら、一つずつ理解し、対応していきます。問題が山積みでも、「ここで逃げたら、会社も社員も利用者も行き場を失ってしまう」という思いが、彼女を支えていました。
「ここで私が逃げたら、みんなの居場所がなくなる」
その責任感が、苦しい状況でも前を向く力になっていきました。
株式会社ラブスイーツ設立、2本柱で未来をつくる決断
「何とかして事業として自立しなければならない」――そう考えた彼女は、利用者の仕事を増やし、売上をつくるための新しい道を選びます。
社長就任の翌月、大瀬氏は株式会社ラブスイーツを設立しました。お菓子の販売や卸、ケータリングなどを担う会社として立ち上げ、引き継いだ福祉事業と、自ら始めたスイーツ事業の両輪で、会社全体を成り立たせようとしたのです。
福祉事業 × スイーツ事業
この2つをつなげることで、利用者の働く場を守りながら、会社としての自立も目指す体制が作られていきました。
最初の商品は「スノーボール」だった
まず取り組んだのは、小さな焼き菓子「スノーボール」の製造です。スノーボールは、ほろりと崩れる食感が特徴のクッキーで、日持ちしやすく、店頭販売にも卸売りにも向いていました。
また、この商品は工程を細かく分けやすいという利点がありました。材料を量る、丸める、焼く、粉糖をまぶす、袋詰めする。作業を分担しやすいため、利用者が関わりやすく、「自分が作ったお菓子が店頭に並ぶ」という実感を持ってもらえる商品でもあったのです。
- 計量しやすい
- 工程を分けやすい
- 日持ちする
- 販売と卸の両方に向いている
もちろん、最初から大きな利益が出たわけではありません。売上はまだ小さく、経営を支えるには十分とは言えない状況でした。それでも、「今できることを一つずつやる」という姿勢で、着実に前へ進み続けました。
営業はゼロから、頭を下げるところから始まった
営業活動も決して華やかなものではありませんでした。創業したばかりの小さなお菓子屋に、大きな交渉力はありません。だからこそ、大瀬氏は「ご要望に応えますので、どうか取引してください」と、自ら頭を下げながら販路を広げていきました。
最初は知人のカフェにお願いして、ほんの小さな卸からスタートします。また、催事の情報があれば迷わず出店し、売上がわずかでも経験と実績を積み重ねていきました。数をこなすことで会社をつなぎ止め、少しずつ前に進めていったのです。
「私が止まれば、会社が止まる」
その思いが、大瀬氏を毎日フル回転で動かし続ける原動力になっていました。
そして訪れる、大きな試練
こうして必死に走り続ける中で、大瀬氏にはさらに大きな試練が待ち受けていました。社長就任後、最大の危機ともいえる出来事です。それが、後に「ケーキ缶事件」と呼ばれる出来事でした。
社長に就任してからというもの、大瀬氏は休む間もなく走り続けていました。目の前にあったのは、施設利用者に仕事とやりがいを生み出すこと、そして会社としてしっかり売上を立てること。この2つを同時に成し遂げるという、簡単ではない役割でした。
商品数は少しずつ増え、取引先も広がり始め、ようやく事業が前に進み始めたように見えていました。しかし、そんな矢先に会社の土台を揺るがしかねない大きな出来事が起こります。
それが、後に「ケーキ缶事件」と呼ばれる危機でした。
SNS映えする人気商品「ケーキ缶」への挑戦
ケーキ缶とは、透明な容器の中にケーキを詰めたスイーツです。どの角度から見ても華やかな断面が楽しめるため、SNSを中心に人気を集め、自動販売機やテイクアウト販売などでも注目されていました。
この販売方法に可能性を感じた大瀬氏は、自動販売機を展開する会社からの提案を受け、ケーキ缶の製造に取り組むことを決めます。注文に合わせて商品を作り、納品し、営業も進めながら設置場所を増やしていく――そんな流れで、事業は順調に広がっていくように見えました。
見た目の可愛さ × 販売のしやすさ
ケーキ缶は話題性が高く、販路を広げるきっかけになる可能性を秘めた商品でした。
突然の連絡不通で、状況は一変した
ところが、ある日突然、取引していた元請け企業と連絡が取れなくなってしまいます。何の前触れもなく窓口が消えてしまい、補充の止まった自動販売機は、売上を生まないまま維持費だけがかかる存在になってしまいました。
そこで大瀬氏は、日中の仕事を終えたあと、自らケーキを仕込み、自転車で設置先を回って補充を行うことになります。さらに現場では、「お金が詰まった」「自販機が動かない」といったトラブルも発生し、その対応にも追われることになりました。
- 商品の補充対応
- 自販機トラブルへの対応
- 設置先への説明と謝罪
- 通常業務との両立
心も体も休まらない日々が続き、眠れない夜も少なくなかったといいます。それでも、大瀬氏は現場から逃げませんでした。
「信頼を失えば、次はない」
その思いが、苦しい局面でも彼女を踏みとどまらせました。
責任の所在よりも、社会的信用を守る道を選んだ
契約してくれた店舗や取引先に対しては、謝罪して回るしかありませんでした。法的な責任を見れば、本来は元請け側にある問題であり、大瀬氏の会社が補償しなければならない立場ではなかったかもしれません。
それでも彼女は、目先の損得よりも、これから先の信頼を守ることを選びます。どれだけ苦しくても逃げないと決め、少ない売上の中から少しずつ対応を進めていきました。
利益より先に、信用を守る。
この選択が、後の事業拡大につながる大きな土台になっていきます。
深夜の商品補充と、胃が痛くなるような取引先とのやり取り。その繰り返しの中で、彼女はこの危機を一つずつ乗り越えていきました。
危機のあとに見えてきた、次の課題
苦しい時期を抜けたあと、大瀬氏は再び販路の拡大に力を注ぎます。地域の中で少しずつ根付き始め、手応えを感じる場面も増えていきました。しかしその一方で、今のままでは経営に限界があることも見え始めていました。
福祉事業は、行政からの給付と自主事業の売上という2本柱で成り立っています。ところが当時、足りていなかったのは自主事業による売上でした。利用者には適切な報酬を支払う必要がある以上、スイーツ事業でしっかり利益を出せる仕組みを作ることが不可欠だったのです。
「やりがい」と「売上」の両立。
この2つを同時に実現しなければ、事業は長く続けられない――そんな現実が見えてきました。
“その一口が、誰かの力になる”という言葉が生まれた
不安定な経営を何とか立て直そうと、試行錯誤を重ねる日々の中で、大瀬氏の中にある発想が芽生えます。
「食べることに福祉という意味を重ねることはできないだろうか」
「甘いものを食べるときの小さな罪悪感を、食べることで社会の役に立てる喜びへ変えられないだろうか」
そうして考え続ける中で、ひとつの言葉にたどり着きました。
その一口が、誰かの力になる
この言葉は、スイーツ事業と福祉事業を結びつける象徴となりました。方針がはっきりしたことで、商品に込められた価値が消費者にも伝わりやすくなり、ブランドとしての輪郭が明確になっていったのです。
コンセプトが定まると、事業は大きく動き始めた
「その一口が、誰かの力になる」という考え方を打ち出したことで、商品そのものの魅力に加えて、購入する意味や社会性も伝わるようになりました。近年の社会貢献への関心の高まりも追い風となり、事業は新しい広がりを見せ始めます。
取り扱う商品も増えていきました。スノーボールだけでなく、カヌレ、マドレーヌ、フィナンシェなど、ラインナップは少しずつ豊かになっていきます。
- スノーボール
- カヌレ
- マドレーヌ
- フィナンシェ
ただ商品を増やすだけではなく、ブランドとしてのメッセージが定まったことが、大きな転機となりました。
内部体制の整備が、安定供給を支えた
外への展開を進める一方で、大瀬氏は社内の仕組みづくりにも力を入れていきます。施設にはさまざまな従業員がいて、利用者の得意なことや苦手なことも一人ひとり異なります。だからこそ、誰が見ても分かる“共通言語”が必要でした。
そこで整えたのが、紙と動画の両方を活用したマニュアルです。作業工程を見える化することで、どんな人でも一定のレベルで作業ができる環境を築いていきました。
体制づくりのポイント
- 紙のマニュアルで手順を明確化
- 動画でも確認できる仕組みを整備
- 作業を見える化して品質を安定化
- 在庫を持てる体制をつくり、急な注文にも対応
こうした仕組みづくりが、商品の安定供給につながり、結果として営業活動をさらに強く後押しすることになりました。
販路は全国へ、そして売上1億円へ
安定した供給体制が整うと、販路はさらに広がっていきます。全国の有名カフェ、大手企業の施設、チェーンの居酒屋やバーへの卸販売に加え、学校給食や幼稚園・保育園のおやつとしても採用されるようになりました。
大口の取引が次々に決まり、売上は一気に成長していきます。そして2025年、ついに1億円という数字が現実のものになりました。
2025年、売上1億円を達成。
危機を乗り越えた先に、確かな成長が待っていました。
理念だけでは続かない。必要だったのは「利益を出す覚悟」
22歳で社長に就任して以来、大瀬氏がずっと考えてきたのは、「スイーツと福祉をどうすれば持続可能な形にできるか」ということでした。そしてその過程で、ひとつの確信にたどり着きます。
それは、事業を続けるには、きちんと利益を出すことが絶対に必要だということです。
どれだけ立派な理念を掲げても、会社が続かなければ、社員も利用者も守ることはできません。会社をつぶさないことこそが、経営者の大切な責任である――その現実を、大瀬氏は現場の苦労を通して深く学んでいったのです。
理念を守るためにも、利益は必要。
それが、大瀬氏が実体験の中でたどり着いた経営の本質でした。
まとめ:挑戦はまだ終わらない
大瀬氏の歩みは、決して順風満帆ではありませんでした。それでも、わずか1年半ほどの間に、売上1億円規模の黒字企業へと成長させた背景には、どんな状況でも逃げずに向き合い、「利益を出す」という覚悟を固めたことがありました。
スイーツと福祉を結びつけたこの挑戦は、まだ始まったばかりです。これから先、大瀬氏がどのような未来を切り開いていくのか、ますます目が離せません。
