1月25日は、中華まんの日、美容記念日、左遷の日、 ホットケーキの日などの記念日です。それぞれの由来は、中華まんの日:1902年1月25日に北海道旭川市で観測史上最低気温のマイナス41度を記録したことに由来しています。寒い時期にホカホカの中華まんを食べて温まってほしいという願いが込められています。美容記念日:日本の美容先駆者であるメイ牛山氏の誕生日を祝して制定されています。メイ牛山氏は日本で最初に「パーマ」「マスカラメイク」などを取り入れました。左遷の日:901年1月25日に、時の右大臣・菅原道真が醍醐天皇によって九州の大宰府に左遷されたことに由来しています。学問の神様として知られる菅原道真(すがわらのみちざね)は、実在の人物であり、歌手の菅原洋一さんのご先祖さまの一人です。ホットケーキの日:森永製菓が制定した記念日で、寒い日にホットケーキで温まってほしいという願いが込められています。
学問の神様として知られる菅原道真
日本各地にある天満宮は、菅原道真を祀る神社で、合格祈願や学業成就などのご利益があると信じられ、毎年多くの受験生が参拝しています。
しかし、天満宮に菅原道真が祀られているのは、 才能にあふれた人物だったからという理由だけではありません。
菅原道真が藤原時平ら貴族によって罠にはめられ、無実の罪で左遷となり失意の中太宰府で亡くなってしまうのです。
そして、死後、怨霊となり恨みを晴らしていると信じられ、祟り神を鎮めるという意味合いで神様に祭り上げられたという側面を持ちます。
菅原道真がなぜ左遷?
901年(延喜元年)1月25日、菅原道真が九州太宰府に左遷させられました。それに因んで、1月25日は「左遷の日」になりました。
ところで大変優秀であった道真が、なぜ左遷されてしまったのは、平安時代に権力を持っていた藤原氏の陰謀だったのです。学者の菅原道真は、宇多天皇にその才能を見いだされ、政治家として出世し、右大臣にまでのぼりつめました。
右大臣の役職は、左大臣の次に位置する役職です。その時、左大臣であった藤原時平やその他の貴族が、学者出身の菅原道真の大出世に嫉妬し、政界から追い出そうとしたのです。藤原時平は、時の天皇であった醍醐天皇に、菅原道真には謀反の疑いがあると告げ口しました。それを真に受けた醍醐天皇は、道真を太宰府に流したのです。
太宰府で2年の幽閉生活を過ごした道真は、悔しい思いをしたまま寂しくこの世を去りました。毎年1月25日「左遷の日」には、道真の無念に思いを馳せてみてはどうでしょうか?
学問の神様菅原道真って一体どんな人
学問に優れていただけでなく、多くの民に慕われていたという菅原道真。幼少期から和歌や漢詩を詠むなどの才能を発揮し、「神童」と呼ばれていました。
18歳になると漢学を学ぶ学生である文章生となります。その中でも特に優れていた道真は、文章得業生に選ばれ、官僚としての道が開かれることになります。その後、学者としての最高の身分である文章博士になりました。
学問以外でも、弓を射させると百発百中であったというほどの腕前。馬術にも長けており、まさしく文武両道の人物であったのです。
894年、道真は遣唐使に任命されるのですが、ここで、「唐から学ぶことは、もう少ない」という理由から、200年以上続いてきた遣唐使の廃止を提案し、国風文化の繁栄に大きく影響を与えます。
また、その前に起きた阿衡事件(藤原基経と宇多天皇の間で起きた騒動)では、道真の機転で騒動を鎮めました。
それ以来、道真は宇多天皇からの厚い信頼を受けるようになり、後の醍醐天皇のときには、右大臣にのぼりつめるという、学者出身としての異例の大出世を遂げたのです。
しかし、出る杭は打たれるという言葉があるように、その異例の大出世に嫉妬した藤原時平の政略によって、太宰府に左遷させられます。
道真は、左遷後も皇室と国家の安泰を祈り続けて、生涯を閉じたといわれています。
怨霊伝説
道真が亡くなった後、都では疫病が流行り、不吉な出来事が相次ぎます。道真を左遷へとおいやった藤原時平もなくなり、道真の祟りだとの噂が流れました。災いは続き、天皇の住む御殿「清涼殿」に落雷がりました。
これにより、道真は天神(雷神)になったのだと恐れられ、道真の祟りを鎮めるために、北野天満宮が建立され、祀られることになりました。
実在した人間である菅原道真が、天神様と呼ばれ、学問の神様として親しまれるようになったのには、こうした理由があったのですね。
ところで、道真が詠んだ和歌や漢詩の中には、梅の句が多く登場します。5歳で詠んだ和歌にも、太宰府に左遷となったときに呼んだ和歌でも、梅の花を見て詠んでおり、道真はそれほどまでに梅を愛した人物でした。
太宰府天満宮はもちろん、日本中どこの天満宮にも、梅の木があるのは、道真が梅を愛していたからなのです。
太宰府天満宮は牛が座り込んだ場所?
福岡県太宰府にある太宰府天満宮は多くの観光客、参拝客で人気の場所ですが、ここは菅原道真が埋葬されている場所です。
道真が亡くなり、その遺体を牛車が乗せて運んでいると、急に牛が止まりそのまま動かなくなってしまいました。これは、きっと道真の意志であるとされ、遺体はそこに埋葬されることになったのです。その地が、現在の太宰府天満宮なのです。
そういった逸話があることから、神社には11頭もの牛の像があります。牛の像を触ると、触ったところがよくなるといわれています。ですから、合格祈願で訪れた際には、11頭の牛の像を探し出し、全部の頭や角を、触ってくるとご利益があるかもしれませんね。まあそんな暇があるなら勉強しなさいというと思いますが…
まとめ
皮肉なことですが、道真は大きな嫉妬を買い、その結果、左遷されたからこそ、後世まで名を残し、今でも天神様、学問の神様として、天満宮に祀られているのです。
今も昔も、人間社会には嫉妬がつきものです。もし、嫉妬など人間関係に悩むことがあったら、天満宮を訪れてみると、何か悟る事があるかも知れませんよ。
突飛な話かも知れませんが、菅原道真は神様の生まれ変わりという説があります。太宰府に左遷されたのは、悟りの最後の一厘を会得するためにやむ負えない事だったそうです。嘆きの道真が、高台で天に向かって衣を靡かせる場面があります。その時に最後の悟りを得たといわれています。